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- 春の彼岸会
春の彼岸会が長保寺で執り行われた。
今年のお彼岸は3月21日であった。
長保寺は紀州徳川家の菩提寺であり、本堂、多宝塔、大門と三つの国宝をもつ歴史のあるお寺である。
国宝の本堂に檀家の人が集まり、お勤めする。
大きな本堂は、春とはいえ冷え冷えとしている。
法院さんの読経に合わせ一心にお経を読む。
凛とした雰囲気を味わうことができて好きだ。
お勤めが終わり、法院さんのお話がある。いつもいろんな話に感銘を受ける。
今年はインドネシアのボロブドゥール寺院遺跡群を見学された話であった
インドネシアには仏教徒がほとんどいなくて、ヒンドゥー教やイスラム教が主な宗教らしい。
インドネシアの仏教文化があった1200年前の遺跡を観光された。
驚いたのは世界的に仏教国が滅んでいっているという事実です。
インドもその例にもれないという。
同時に仏教施設前でお勤めをしようとしてもそれを受け入れるような雰囲気が薄れてきているという。
世界的に人類が病んできているのだろうか。
世界中を旅できるグローバルな世の中である。インターネットを使えば世界の情報がたちまち入手できる便利な世の中である。
好きなことや嫌いな情報が検索しなくても飛び込んでくる時代である。
余程自分の立ち位置をしっかりとして情報を受け取らないと情報に流されることになる。
情報は受け取る側の責任で取捨選択することが求められるのだと思う。
しかし残念ながら情報に流される人々が多くなることは否定できない。
今まで触れなくてもよかった情報や法院さんや住職が話される口伝いの有益な情報などが一緒になって飛び込んでくるのが今の世の中である。
人類が病んでいることの一因がこんなところにあるのかもしれない。そんな気がしてくる法院さんのお話であった。
グローバル世界の中で価値観の多様な人々がいることを認め合うことは大切である。
それと同じかそれ以上に他者の価値観を誹謗することはあってはならないと思う。
仏教は絶対的な神が外にいて我々を導いてくれることではないと伺った。修練して自分自身を磨くことであり、答えを自分で見つけることである。
しっかりと判断できる自分を見つけることが、この時代にはとても大切なことのように思える。
仏教国が滅んでいくのは世界の危機ではないだろうか。
そんな気がしてならなかった法院さんの話であった。
今年の彼岸会もお参りしてよかった。